亜久津 歩 (あくつ あゆむ)
【経歴】
1981年4月 東京都生まれ。埼玉県に暮す。
2004年3月 早稲田大学第二文学部卒業。
2008年9月 『生活語詩二七六人集 山河編』に参加。詩2篇と扉絵9点を寄せる。
2008年11月 第1詩集『世界が君に死を赦すから』(コールサック社) 。自装。
2009年3月 『大空襲三一〇人詩集』に詩2篇を寄稿。表紙画、装丁を担当。
作品とともにNHK首都圏放送にて紹介される。
2009年11月 詩誌「COAL SACK(石炭袋)」にてエッセイ「〝自殺者〟を繋ぐ」の連載を開始。
2010年8月 『鎮魂詩四〇四人集』に詩2篇を寄稿。装丁を担当。
2010年9月 第2詩集 新鋭・こころシリーズ(1)『いのちづな うちなる〝自死者〟と生きる』
(コールサック社) 。自装。
2011年4月 詩集『いのちづな』が、第1回「萩原朔太郎記念 とをるもう賞」受賞。
2011年8月 『命が危ない 311人詩集』(コールサック社)に参加。詩の寄稿とともに装丁デザインを担当、編者の1人。
現職は装丁家。これまでに100冊以上のブックデザイン、装画を手がけている。
日英語の詩誌「エキマエ(EkiMae Poems)同人。
<詩作品>
詩集『世界が君に死を赦すから』より
彼は空を飛びたかった
麻酔の切れた
風見鶏は
錆びついた羽で
取り戻したくて
逆回りを始める
けれど
優秀な風見鶏は
一度たりとも
選択肢を誤ったことは
なかったので
わからなかった
西なら西を
北東なら北東を
吹雪でも月蝕でも
正しいことを
正しいと思うことを
繰り返してきた
小鳥たちの囀りに
四季薫る風に聴き惚れながら
信じれば夢は叶うと
少しずつ近づいていると
軋む足を励ましながら
いくら回ってもとどかない空を仰いで。
第2詩集『いのちづな うちなる〝自死者〟と生きる』より
まっすぐ言う
今にも 椅子を蹴ろうとしている足に
今にも 手摺を離そうとしている指に
閉じかけた瞳に 途切れそうな意識に
長い説教が響くか
巧い喩えはとどくか
溺れながら謎かけを解く余裕など私にはなかった
ブンチン
わたしが死んだら生きていけないなんて
正直言って重いです
結局 生きていくと思うし
けれど その重みで
生かされてる
明日死ねるか
いつ死んでも悔いのない生き方を求めてきたら
いつでも死ねる気になってしまった
「明日、死んでも悔いはないか
そういう生き方をしているか」
あの頃の自分に尋ねられたら
かっこわるいかもしれないけれど
「いやぁ、いっぱいあるよ」
なんて言って
頭かいて
笑う
ゆずり葉
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれない書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど―。
ゆずり葉になりたい
沈みゆく街も 時を濡らす血も
穴のあいた空も 澱む土も
みな飲みこんで枯れたい
たった今 ひらかれた
すべてを摑もうとする掌に
新芽のような指先には
どうか 優しいものだけ
“幸福なる子供たちよ”
この時代 この国の
どれほどの人が
こう 呼びかけられるだろう
それでも
ゆずり葉のように生きたい
自分のためだけに生きるより
誰ぞのためと死ぬよりも
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、うつくしいものを、
一生懸命造ってます。
わたしにも できるのだろうか
自分が生きることで精一杯で
それでも本当は
誰かのために
生きて みたくて
* 引用はすべて、詩「ゆずり葉」(河井酔茗)より。